みなさんこんばんは、ルビー・モレノです。 さて、偉そうにも “ブラックムービー(黒人映画)専門ブログ” としてやっちょります『GEE-Q・EIJI的黒電影熱病思考方』ですが、今回の作品でなななんと300本目となりました!。思い起こせば200本目記念の時、自分自身とても思い入れの強い作品の1つであるスパイク・リーの『マルコムX』を取り上げましたが、今回もブラックムービー史上に残る名作を取り上げて、この300本記念にしたいと思っています。 なんていったらコレしかないでしょ!『SWEET SWEETBACK'S BAADASSSSS SONG(邦題 スウィート・スウィートバック )』で行きましょか! 娼婦の館、いわゆる『娼館』で育てられた孤児のスィートバック(メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ)は、当然のごとく、ものすげ~早い時期に娼婦さんに無理矢理娼SEXを仕込まれる。すくすくとエロの才能を伸ばし、立派な大人に成長した彼は、ある晩自ら経営する秘密クラブでSEXショーを繰り広げていると、警察のガサ入れで逮捕され、強烈なリンチを喰らってしまう。しかし、あからさまな人種差別主義を露呈している白人警官達は、彼を署に連行する途中にある黒人活動家に対してもリンチを加える。スウィートバックの怒りが沸点に達した時、彼の逆襲と逃亡の幕が上がった…。 監督はもちろん、原作・製作・脚本・編集、そして主演といった具合で、“これぞ究極のインディペンデント作品” と呼ぶにふさわしい作品。それと共に、公開された1971年のインディ作品としては記録的な興行収入を打ち出したブラックムービー史に光り輝く金字塔として、今尚人々の賞賛や尊敬を集めるクラシック中のクラシックと呼べるでしょう。 2005年に、この作品が出来るまでの裏舞台を息子であるマリオが製作した『バッドアズ』 が公開されると同時にこの作品のリバイバル上映も行われ、沢山の人達がスクリーンで見ることが出来たと思うんですが、俺自身、最初にこの作品を見たのはまだ学生の頃に借りてきたビデオでした。当時はまだまだHIPHOP IQ、そしてブラックカルチャー知能指数もまだまだ急速発展途上中だった俺にとって、この作品の持つメッセージやや影響力、もちろん映画としてのポイントや楽しみ方をイマイチわからなかったのか、なんとも強烈な作品でもあり、なんとも過激な作品でもあり、なんともエグい作品でもあり、だけどなんとも難しい作品だなという感想を持ったもんです。 ただ、周りの仲間に「スゲエの見つけたぜ!」なんて事を教えまくり、皆の感想を楽しみに聞いたりして盛り上がった事を思い出しました。そんなまだ青二才だった俺の意識の中にも強烈なインパクトを与えた作品であり、尚且つある意味トラウマの様にその後もずっとQちゃんHIPHOP深層心理の中にズシンと腰を下ろしている作品となった訳です。 この作品が完成するにあたって、メルヴィンがどれほど骨身を削る思いをしてきたかという事は、息子マリオの『バッド・アス!』で生々しく描かれていた為に、みなさんもご存知だと思いますが、映画が作られるまでの経緯も壮絶ならば、この作品が人々に、そして世間にいかにして認知されたか、そして賛辞を得たかという部分も、当時の時代背景を考えると非常にドラマチックかつ必然的だったと思うんです。 “Black(黒)” そして “Exploitation(搾取)” の造語である “ブラックスプロイテーション”。皮肉たっぷりなこの造語だけど、70年代の映画史に燦々と輝く一大ムーヴメントは、この作品の誕生によって本当の意味で幕を開けたのかもしれない。映画はあくまで娯楽である、ただ、その後のブラックスプロイテーションが基本理念は換わらないにしろ、様々な表現方法や娯楽性を重視していくにつれ、結果衰退していく事を振り返ると、とことん非情なまでにリアルな欲求や願望、そして権利や主張を形にしたこの作品こそが、最初で最後のモノホンだったのかもしれない。 “斬新”という言葉だけでは到底片付けられる代物ではないが、全てが攻撃的であり、全てが先駆的、まさに反骨精神の塊からなる結晶!といった作品。もちろんその根本にある基本理念は、思い切り白人に対して中指おっ起てるといった挑発的な作品であることは間違いない。ストーリー自体は単純明快であれど、それまでアメリカで勧善懲悪としてあたりまえだった図式を根本的に覆すといったタブー中のタブーに挑戦するだけでなく、SEXや暴力、音楽やアクションといった映画に観客が要求する娯楽性もキッチリ存在している。 スパイク・リーが自ら言うように、この作品がなかったらその後のブラックムービーの発展はなかっただろう。もちろん現在第一線で活躍している監督・俳優達も、メルヴィン、そしてこの作品を知らない人間などいない筈。そして、南北戦争、独立宣言といった歴史を経ても尚、白人至上主義社会と化したアメリカの中で、「アメリカンドリームなどクソくらえ!」と、夢や希望どころか日陰で冷や飯を食わされた挙句、犯罪やドラッグの流通などで共食いの様な有様になっていたアフロアメリカン達。彼らに一寸の光や、一瞬の希望、いや、2時間の共鳴を与える存在であったのがこの作品であり、その後のブラックスプロイテーションムービーだったと思うんです。彼らは積もり積もった鬱憤や怒りを、スクリーンの登場人物に反映し、一喜一憂する事で爆発させていたんだろう。 70年代、差別や不条理が根強く残る時代であった半面、人々の持つエネルギーやパワーが最も行動となり、形となって世界にアピールされていた時代でもあったと思う。 “ブラックムービーのゴッドファーザー”とは、彼にしか似合わない称号であり、彼にこそふさわしい“冠”である。生きる伝説よ、頼む!あと1本!いや、あと10本!(笑)
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