この作品は“ライブドアブログ”にて2005年11月4日にUPしたものです 『同被告は71年、全米で最も凶暴なギャング団として知られた「クリップス」を設立。79年のコンビニ店員殺害事件と、ホテルの経営者夫婦ら3人を殺害した強盗殺人事件で有罪となり、81年に死刑判決を受けた。その後、刑務所の中で児童書を書き、ギャング撲滅運動を推進した。これらの功績が認められ、同被告は支持者らによってノーベル平和賞に5回、ノーベル文学賞に4回、推薦された。(毎日新聞)』 LAのギャング『クリップス』の創始者、スタン・“トゥッキー”・ウィリアムズのプロフィールである。このプロフィールには現在進行形の続き部分を付け足す必要がある。『ロサンゼルスのカリフォルニア州地裁の判事は、彼の死刑執行令状に署名し、執行日は12月13日に予定されている』という事。彼は今、獄中で何を思い、何を考え、何を見つめているのだろうか…。今夜の映画は、彼自身のストーリーを、アカデミー俳優であるJamie Foxxが演じた『REDEMPTION: THE STAN TOOKIE WILLIAMS STORY』。舞台はLA、ギャング団『クリップス』の創設者・ヘッドであるウイリアムズ(Jamie Fox)は、敵対するギャング『ブラッズ』と抗争の際、コンビニ強盗を働き4人を殺害、逮捕されてしまう。もちろん残虐な殺人行為は許されるはずも無く、死刑因としての獄中生活が始まった。ギャングの頭であるウイリアムズは刑務所内でも存在を示す行為を続け、因人達の間でもヘッドの様な存在に。そんな荒れ果てた彼の死へ向かう最悪の日々、長老と呼ばれる囚人から、一冊の辞書と絵をもらう。今まで自分が犯してきた罪の重さを感じると共に、自分の中で確実に変化が見られてきたウイリアムズの前に、ある日女性ライターが現れる…。 日本でもHITした『Ray』とほぼ同時期に撮影されたにもかかわらず、この作品が度派手にメディアに取り上げられる事はなかった。レンタルが開始された後も「Reyのアカデミー賞俳優Jamie Foxx!」といった部分に焦点が集中している様な…。確かにこの映画でも彼はすごぶる存在感で、俳優として振り幅の広さを改めて感じさせられる演技を見せてくれている…スタンダップコメディアン出身でありながら、数々のシリアスドラマを演じ、着実にキャリアアップしている事も十分に伝わってくる。だからこそ、この映画を<主演俳優>だけでなく、電車男じゃないけど<TRUE STORY>としての部分をもっとコマーシャルしてくれればよかったかな…、いや、結果的に旬の俳優が演じることで興味を持ち、実際に見た人達が<この部分>をどう感じ取ってくれるのか、俺にとってはとても興味深いなと思う。 刑務所に入ることで「ハクが付く」と表現するシーンのある映画を何度も見た。最低最悪の条件での生活を経験し、俺は一回りも二回りもタフになって帰ってきたぜ…といった愚かな自意識・無意味な虚勢を張る事が<ステイタス>になっているのかもしれない。これは生活背景や文化が影響しているとはいえ、そんな事関係なく『最低』な言い訳に過ぎない。いかに事件が単調に片付けられ、とりあえず放り込み、とりあえず痛みや苦しみを味あわせるという犯罪多発国の悪循環を感じずにいられない。 だからこそ、こういった『更正』をテーマにした映画は、見る人間の<ブラックコミュニティ>に対する関心の深さや理解の度合いによって感想が180度変わったりもするんじゃないかなと思う。真実の物語であるにもかかわらず「イマイチ盛り上がりに欠けるよな」であったり、派手な爆破やカーチェイスは無くても「考えさせられた…感動した…」みたいにね。 映画に<正しい見方>なんてのは存在しちゃいけない。見る人それぞれの感受性や趣味思考で楽しみ考え、退屈だったりするのが映画だと思う。でも、そんな中、<理解>や<判断>、<視点>や<興味>の持ち方次第で、大きく<感動>や<方向性>が変化するのがブラックムービーなんじゃないかなと思ったりしちゃったりしてます。 彼が獄中に自らの過ちに“目覚め”、“書き”、そして伝えるといった行動が後に認められ、数度のノーベル平和・文学賞のノミニーにまでなったところで、免罪符になる事は勿論有り得ない。ただ、彼が投獄後に見せた<変化>は世界で評価を受け、永久に語り継がれることも間違いない。正義と悪に対する自己意識の部分で、45度や60度どころではない、180度の変化・成長を見せてくれたのだから。生きている意味、生きている喜び、生きてきた実感を、彼が1日でも多く、1時間でも長く感じる事が出来ればいいと、俺は最後まで願っていたい。
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テーマ:ブラックムービー(黒人映画) - ジャンル:映画
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